hana日記

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2010年 10月 23日

空海と讃岐忌部氏。

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空海。香川西讃生まれの私には「お大師さん」のほうがなじみ深いのだが。
この方が生きて活躍されたのは平安時代。出生地については諸説ありますが
「讃岐国多度郡屏風浦」であろうと言われています。
良港であった多度津港のあたりでの出生ではないかと推察されています。

そこで、その地で大和時代から奈良時代頃まで栄えていた忌部氏との関係を考えています。
忌部氏は四国阿波に定住した宮廷祭司を司る氏族的職業軍団で、阿波から西讃地域を開拓し
「讃岐忌部」としても定着して行きました。航海術にも長けており海上を自由に動いていた
ようです。その忌部氏が懸命に開拓した土地で生まれたのに、まったく最近まで忌部氏の事
は知りませんでした。うちの両親もあんまり解らないようです。
四国でも特に香川では郷土史に興味のある人か局地的スピ好きの人ぐらいしか、忌部氏には
あんまり興味がないかもしれませんね。
現在では、忌部氏の主祭神を祭る神社とある山間部に栽培していた重要な植物「麻」の地名
を残すのみとなってました。残念ですよね。凄く興味深い歴史なのに。。。。
運転免許を取ったら「香川で忌部氏の痕跡を探る旅」をしてみたいですね。

四国は不思議な土地でして「四国八十八ヶ所」の知名度があまりにも高くって、神社の事は
忘れられているのです。帰省するたびに複雑な気持ちになります。

阿波忌部氏は山の鉱石などへの造詣が深かったようで、今でも徳島の山中に地磁気のラインに
沿った形で不思議な巨石群が残されているようです。その鉱脈への知識を考えると、何故彼ら
が鉱脈の宝庫である四国に定住したかが大変興味深いです。朝廷からはるか遠い土地なのに。

いつかチャンスがあれば、その巨石の建つ山にも行ってみたいです。

空海は高野山の地下に存在する水銀を活用していたようですが。
そこにも忌部氏の鉱脈知識がバックグランドとしてあったようにも夢想するのです。

そして、なぜ無名のお大師さんが正規の遣唐使の留学僧として唐に渡る事が出来たのか。
その点が現在でも不明で種説あるようですが、朝廷で中臣氏との勢力争いに負けて衰退
して行った忌部氏との兼ね合いを妄想してしまいます。
お大師さんは衰退して行く忌部氏の支援を受けていたのではないのか??
その日は久しぶりに家でゆっくり出来ていたので、つらつらと夢想しておりました。

父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀大足の娘(あるいは妹)
父方の出生が阿波忌部氏ではないかと推測する方も居られますが、真相は良く解りません。
でも多分親戚関係なのでしょうね。なぜならその当時の香川県の氏族と言えば「忌部氏」
を指しているからです。いろいろ調べたり人に質問してみたりしている内に「空海=忌部氏」
が一体化している事に確信を持ち始めました。自分なりにですがね。

日照りの香川県で私たちが餓えずに米食や小麦、塩で潤って生活出来たのも先人たちの
その土地の治水開拓努力があったからであろうと。私はPCの前で一人で頭を垂れるのでした。
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by norihana333 | 2010-10-23 08:06 | 讃岐よいとこ


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