hana日記

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カテゴリ:九州の思い出( 12 )


2013年 07月 29日

熊本のお米。

熊本のお米「ヒノヒカリ」を取り寄せてみたのですが。おいしい!

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いままでは香川の実家の目の前の田んぼで作っていたお米を頂いてました。年単位で玄米を予約買いし玄米冷蔵庫に保管してもらってたんだけど今回は買うのを止めました。主な理由はお父さんが嚥下障害で食事を口から取れなくなったから。そして生産者のご夫婦が高齢になり生産量が一気に減ったためです。あぁ寂しい。時は流れて行きますね。口から食事がとれるってことは素晴らしい事です。食べれるってありがたいと思います。なので、我が家も独自でお米を買う事になりました。そして、はたと考えた。どこのお米を買おう。東京に住んで良く目につくのが東北、茨城、新潟、山形、北海道などのお米。もうスーパーでお米のパックを見る度に考え過ぎて頭がくらくら。選択肢多いと悩みますね。なじみのある香川や徳島、兵庫県のお米も考えたのですが、結局昔住んで良く遊びに行った九州、熊本のお米を頼む事にしました。熊本〜田村商店〜の田舎米。

何度か遊びに行った熊本。お水がほんっとにキレイで。こんな奇麗なお水でお米を育ててるんだ、って感激しました。空も高くドライブすると気分がすっきりしたものでした。香川はどうしてもため池からのお水を田んぼに引くので、比べてはいけないけどお水は熊本、大分、宮崎の山間部が素晴らしかったです。あまりお米に目利きでないから味比べは出来ないけど、もちっとして美味しいご飯です。今日はキュウリの酢の物と「がんもどき」をさっと煮て食べようかな〜。
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by norihana333 | 2013-07-29 16:53 | 九州の思い出
2013年 06月 11日

ちりじりだけど心はいつもそこに帰る

懐かしい九州での写真がいっぱい出て来た。懐かしいな。契約期間が終わりみんなちりじりばらばらになりました。大阪、佐賀、ヴァンクーバー、ニュージーランド、ハワイ、カナダ、アメリカに移動して行った友人達。住んでる所は遠いけど、心の中に大きくあの頃の友人は生きている。
先日の京都でもこの頃の友人のお宅に泊めて頂きました。ヴァンクーバーで知り合った頃はご夫婦ともに独身同士で両方とも勉強されている時期でした。そして結婚され私たちと同じようにカナダから帰国しました。凄く優秀な方だったので1年で九州から他に引き抜かれて行ったけど、交遊は今も続いています。その後健康なお子さん達にも恵まれ今ある幸せを懸命に大切にされてました。すごく良いお父さんお母さんになってました。昔から家事はプロ級の女性だったので、お家は立派で掃除の行き届いた素晴らしい環境でした。一夜漬けの掃除ではないのはすぐ解ります。

友人が幸せに暮らしている事を目に出来る事は素晴らしいことだ。

大阪に暮らす友達夫婦にも2人目が生まれたようで、電話で近況を報告しあい懐かしさに胸が熱くなりました。また逢いましょう。彼らと行ったカラオケは今だに私たちの語りぐさになるほど抱腹絶倒だったのよ。みんな元気で良かった。

今日は主人の仕事場から沢山のその頃の写真が出て来ました。懐かしい。一枚一枚写真に魅入る。その中に不幸な亡くなり方をした友人と私の写真。目が釘付けになったけど、ほんとうに彼女は美しく輝いていた。才能あふれる純粋な女性だった。あんな風に行ってしまう事はなかった。もっと自分を大切にして付き合う相手を慎重に選んで欲しかった。駄目なら誰かの助けを得て安全に別れて欲しかった。What if,What if,What if...そんな風に考えていたら台所で餃子を包む手が滲んでしまう。

そんな彼女が書いた本の中のあとがきの中に自分の名前を見つけたのよね。私たちへの感謝の言葉が書かれていたれど感謝するのはこちらの方です。

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by norihana333 | 2013-06-11 20:32 | 九州の思い出
2010年 05月 27日

湧き水

廃車決定のカローラで旅した九州。
2000年から2006年までの大分県での生活。
書ききれない程の思い出がありますが。湧き水もその一つでした、

大分県、環境省選定「名水百選」に選ばれた竹田湧水群。
阿蘇山系の湧水で驚く程の大量の清浄なわき水が沢山の場所から湧き出ていました。

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いつまでも滝やわき水の近くに座って水を見ていたかった。
清浄な水を見ながらぼーっとする時間は例えようもなく幸せでした。

この竹田は私たちの友人(イギリス人)が中高生に英語を教える
JETプログラムで住んでいた町。彼女の案内で沢山のわき水を訪れる事が出来ました。
彼女はこの街で住んだ経験から「自分が再生した」と言ってた。
暖かい人と接触して美味しいものを食べ、寂しかった自分を再生した街と言っていたのを
今も強烈に覚えています。再生。そうね、素晴らしい経験をしたんですね。
そんな、お話も強く覚えています、

あの頃カローラのトランクにはいつも水を入れる事の出来るタンクを積んでました。
いろんな所で奇麗な湧き水を見つけて、タンクに入れて持ち帰り
飲むのがその頃の大きな楽しみでした。

滝も多かった。
名前も知らないような滝にカローラで行き当たると、
大変幸せな気持ちになりました。



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あの古い「おんぼろカローラ」と一緒に経験したいろんな思い出の一つです。
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by norihana333 | 2010-05-27 00:04 | 九州の思い出
2010年 05月 10日

グラバー邸の思い出

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長崎でグラバー邸や出島の記念館などに訪れた時に、
強く印象に残ったのはグラバー氏の息子さんのお話でした。

倉場 富三郎(くらば とみさぶろう)実業家であり、武器商人でもあったグラバー氏の長男。
日本人ツルさんとの間のお子さんです。商いで生み出した巨万の富の恩恵を全身に受けて
生きたであろう富三郎氏。学習院を卒業後アメリカのペンシルバニア大学で
生物学を学び、お父さんの会社に入社し長崎で日本で初めてのトロール漁業を始めるなど
戦前はたいへん長崎実業界で活躍されたようです。

小さな富三郎氏の写真が記念館に飾られてました。
その説明文を見て衝撃を受けました。

1945年8月26日自死。長崎原爆の炸裂を山の上から見た富三郎氏。原爆の17日後でした。
戦争中はアメリカで教育を受けその上混血児で有るためスパイとして迫害されたようです。
その苦しい暮らしを表現した文章も読みました。そして原爆。
人を殺める武器の究極を彼はあの長崎で見たんだ。。。

何とも言えない気持ちに成り。主人と私は無口になりました。
外国人として他の国で生きるのはたいへん苦しい事です。
私はその気持ちが少しは分かる。

どれほど絶望したのかは正確には分かりませんが
その苦悩は想像出来ます。

そして思ったのが、アメリカ西部を征服した銃と呼ばれたウィンチェスター銃。
その銃を製造販売し巨万の富を稼いだウィンチェスターファミリーの建てた邸宅。
不幸が絶え間なく起こるのは銃の犠牲者の怨霊が集まって来ているからだ と信じて。
その悪霊から逃れる為に家を少しずつ改築して行った。この家のドキュメンタリーを
見たときも驚愕しました。凄い家でした。ウィンチェスターミステリーハウスと呼ばれ
州の重要文化物となっております。豪華絢爛なからっぽの家。

グラバー邸と富三郎氏、原爆とウィンチェスター。。。
しりとりゲームのように想念が頭の中で繋がって行きました。

出島で見た古い世界地図も忘れられません。
あまりにも歪曲された正確さを欠く世界地図。
こんな不確かな情報で(その当時は最新だったのでしょうが)
人は小さな船に乗って海に漕ぎ出したんだ。と感動しました。

人間の勇気とは凄いものです。
さて、その古い地図に主人の国「カナダ」がまったく記載されてなかった。
「あれれ??カナダがな。。。。い」
「ほんとだ。。。。」

その地図はアメリカの形も西海岸のみで、北米部分は空白でした。
なんだか感動した。アメリカが発見された直後の地図だ。
その頃カナダのファーストネイションズは静かに平和に暮らしていたんだろうな。
そんな風にも思った。知られないという事は幸せな事なんだ。

「カナダってこの頃に も 未開の地だったのね。。。」と呟いたら。
「その も をとりわけ強調するのは止めて下さい」と言われたわ。
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by norihana333 | 2010-05-10 14:58 | 九州の思い出
2010年 04月 02日

Grandiosoは高原の山の上

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和太鼓集団「TAO」

九州大分県「阿蘇くじゅう国立公園」を拠点として活動している太鼓集団。
彼らが共同生活しているのは、リゾート宿泊施設も兼ね備えた「グランディッソ」

私たちがそこに初めて行ったのは2003年の12月31日。大晦日でした。
彼らのその当時のHPを友人が作っていた事もあり、誘われてどんな太鼓グループなのかも
解らないままに付いて行ったのです。あくまでのんきな風来坊二人組。
宿泊するからね、とも言われてたからお金と着替えだけ持って久住まで車で出かけました。
主人にどんな内容か聞いても「まあ休暇を楽しみましょう」としか。。。言いません。
かれも事情が飲み込めていないようでした。苦笑

彼らの宿泊地は久住高原の小高い山の上。
その敷地の外れには太鼓練習場がありました。
そこがその夜のコンサート会場となってました。

実はわたしは太鼓が嫌いでした。笑 
あのお腹を揺さぶるような音を遠くで聞いてると不安な気持ちになるのです。

そのコンサート会場には椅子はなく皆床に座ってました。
目の前で太鼓が設置されてます。ほんとに目の前。

友人のミッシェルは6ヶ月の赤ちゃんを連れてた。
音が赤ん坊には駄目かもね。なんて言いながら演奏が始まるのを待っていました。

その演奏。素晴らしかったのです。
目の前での太鼓演奏。TAOは太鼓を担いで動き回って演奏するので大迫力でした。
太鼓嫌いだったわたし。その瞬間にTAOの大ファンになってました。
ただ赤ちゃんは太鼓の迫力にびっくりして飛び起きてました。笑

その日はグランディッソのコテージに泊まり。
晩ご飯を食べてて気づいたのは、コテージへの案内、食事の給仕、片付けも
全部さっきまで太鼓を叩いていた演奏家の方が分担して行っていた事。

夜遅くなると太鼓プレーヤーはギターを片手に歌まで歌ってくれました。
うう〜ん、凄い。一緒にお酒も飲んだりして楽しかった。

翌朝は朝日の出る時間に、草原太鼓コンサートの始まりでした。
凍り付く様に寒かったけど、新年の太陽を見ながら太鼓を聞く。
忘れられません。厳粛な気持ちになりました。

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彼らはその後初めてのエジンバラ音楽祭へと参加するので
不安でもあり楽しみでもあります。と仰ってましたが。
今は年の半分は海外公演。なんとまあ、すごい状態になっているようです。
修行僧のような生活をされている彼ら。まるで行者のようです。

現在はメンバーも沢山入れ替わられてました。
懐かしい顔は数名になっているけど。やっぱりTAOは大好き。
交通事故で亡くなられた大太鼓プレーヤの方も忘れられません。
私と主人は今でも彼らの大ファンです。
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by norihana333 | 2010-04-02 12:30 | 九州の思い出
2009年 04月 19日

離島からの空気

鹿児島港のターミナルで、風に吹かれながら
ビールを飲んでたら 大きなフェリーが入港してきた。

奄美大島、喜界島などなどからの定期船。
沢山のバックパッカーや地元の方達が降りて来ました。
みんな大きな荷物を抱えて、日焼けした肌が光ってた。
高揚感や疲れ、寂しさ 楽しさ いろんな空気を運んでくるひとたち。

すご〜く心惹かれました。うっとり。

私は四国生まれで、本州に行くには必ず船に乗るしかありませんでした。
小さかった頃は。だから、旅行と言えば船旅でした。

鹿児島から離島行きのフェリーを見て、
ぼんやり「いつか離島へ行きたい」と思った。
今回は車旅だったので、船旅はいずれまた。。。と断念しました。
あのフェリー乗り場の雑多な猥雑なナンでもありな空気が大好きです。


鹿児島で一番印象に残ったのは、ちょっと残念な会話でした。

夜地元の方が集まる居酒屋で食事をしてたら
主人のすぐ横に座っていたサラリーマンの方が
「この国に来る外人は全部食い詰めものなんだ」
「自分の国で食えないからこの国に来てるんだ」
「可哀想なもんだよ」
と大きな声で彼を見ながら部下に話してるのを聞いた事です。驚いた。

私と主人は英語で話してたので、分らないと思ったんでしょうね。
「何かご用ですか?」と日本語で聞こうかと思ったけど。。。やめた。
こころの中でパンチをお見舞いしておきました。ふんっ

どこに住んでても、こんな輩は居るもんです。
でも あんなにあからさまに言われたのは初めてだった。
「お山の大将」根性丸出しでした。

鹿児島の大学で私たちの友人(北米出身の人)が教えてて
住み辛いと話してた事を思い出しました。残念ながら
福岡を旅してた時とは、印象は大きく違いました。

まあ 私たちの印象なので。。。引き算して読んで下さいね。

自分で作ったココロの壁でガードした離島にこもり、
お山の大将になって外国を見下して ぶいぶい言ってどうなるのよ〜

勇気を出して壁で覆った離島の外に出てこんかい!
と思ったもんですわ。
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by norihana333 | 2009-04-19 19:13 | 九州の思い出
2009年 04月 18日

知覧の灯籠

平和会館は小高い丘の上にありました。

お茶畑と開聞岳が遠くに見える美しい町、知覧。
でも 戦争中に若い特攻隊員が
片道の燃料を積んだ戦闘機で飛び立った場所です。

大学のゼミなのか、たくさんの学生さんが
団体入り口にノートを持って集合されてました。
とても楽しそうで遠足みたいなムードだった。

ここで生活し亡くなって行った人達と同じ年代かな。
そう思いながらその人達を見てました。

知覧特攻平和会館には遺族の方達から寄付された
隊員達の写真や遺書、遺品が展示されてました。
遺品の展示方法は 政治色はまったくなく
亡くなって行った若い命を悼む、事実のみのシンプルな形でした。

だからこそ 衝撃的でした。

会館から出て来るとき、学生さん達はノートを録る事も忘れて
呆然としてました。座り込んでる方も居た。
私たちも椅子に座り少しの間休まないと動けませんでした。

昨日、鹿児島の開聞岳の映像をテレビで見た時に
顔のことを思い出しました。

その会館に向かう道の横には 無数の灯籠が建ってました。

気になって車を停めてもらって灯籠を見たら
灯籠の下の方に若い男性の顔が彫られてました。

一個一個微妙に表情の違う顔。

たくさんの顔の掘られた灯籠が建つ小高い丘に向かう道は、
空に向かう滑走路みたいでした。

会場を後にする時、この人達は靖国に居るんだ。
その事にちょっと驚いた。頭の中で繋がらなくって。。。

外に出て大きな石碑を見たので近づいて
寄贈者の名前を確認すると、小泉純一郎さんでした。
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by norihana333 | 2009-04-18 07:37 | 九州の思い出
2009年 04月 17日

天岩戸神社

行き当たりばったりで、ふらふら今度は天岩戸神社へ。

天岩戸神社では神官の方から、お祓いを受けて社殿の中へ
ご神体の岩窟(天岩戸)の方向に向けてお参りしました。
ご神体は見えなかったけど、あおあおと茂った樹々が胸に沁みました。

神社の外に出たら、皆が川伝いに歩いていく。。。
なんだろうね〜とみなさんの列の後について行くと。
森を抜け小さな川の横の道を歩く事と成りました。
道は整備され、緑は深く美しかった。

川の横の道を抜けて行くと 大きな洞窟の前にでました。

天安河原(あまのやすかわら)

ここは。。。ちょっと怖かった。
恐いなと思わせる様な何かが詰まってました。空気の中に。

洞窟の入り口で立ち尽くしてると、横で大きな声が

「It is excellent!」

そう そうなんです。

彼が感激して洞窟の中に走り込んで行くところでした。
彼は原始的な自然の造形がとっても好きなのでした。

ああ〜もう仕方がない。えいっ!

私も腹を決め、足を勧めて行きました。
岩戸隠れの時に八百万の神々が集まって相談した場所とされ
参拝者が石を積み上げてました。沢山のたくさんの手で積み上げた石塔。
思いのこもった石。意思。石達。私はこれが恐かった。

でも 中に入っちゃったら大丈夫だった〜 

なんだか写真を撮るのも失礼な気がして、
洞窟の外の大きな岩に腰掛けてぼーっと酸素を吸うのを楽しんでました。

あの河原はとても凄みのある所でした。忘れられません。
上半身が人間で下半身がワニの神さまがのしのし歩いてそうな所でした。

次の日 宮崎県から鹿児島県へ抜けようとなんとか道を探しましたが
やはり時間がかかりそうな上に、曲がりくねった道ばかりで。。。

結局高千穂から熊本へ上がって、高速道路で熊本から鹿児島に入る事に決定。
残念だわ。鹿児島って山や海で囲まれてて、特に宮崎からは行きにくいと思いました

薩摩藩がお城を造らず「人が城」と言った理由の一端を見た気がしました。
険しい山と海に囲まれて、自然の地形で守られてる。薩摩の地形が山城なんだ。
だからこそ 人が最後のお城。一人ひとりが神。

わたしもそうありたいです。
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by norihana333 | 2009-04-17 07:54 | 九州の思い出
2009年 04月 16日

高千穂神社

とても小さなお宮でした。
宮崎県の山間部の村に有るお宮。
でも地域全体から敬愛されているのがよく分かりました。
天孫降臨伝承の里。なんだか地面がほかほかしてた。

境内に足を踏み入れ、お参りさせて頂いた後、
彼に「夫婦杉」の由来を説明。。。二本の大杉で根元は一つ。
夫婦が手を繋いで三周するとずっと夫婦円満でいられる。みたいよ。
なんて。英語圏の人には珍しい事ですから。

そしたら私の手を引っ張って杉の周りを三周しようと言いました。
彼は真剣だった。一生懸命だった。
まじめに回りました。
その頃、私たち家族間にはいろいろな問題が山積みで
二人の間にも家族間にも不協和音が流れていたのです。。。。

お互いへの感謝の思いで、不満は溶けてゆきました。
感謝する心は最強の祈りの言葉だと思う。

夜は高千穂神社の中で夜神楽を初めて拝見させて頂きました。
観光用とはパンフレットに書かれていましたが、
力強い素朴な舞いに魅了されました。

何より素晴らしかったのが、お神楽の最後で
ご挨拶された世話役の方のお話でした。

率直で飾らず、真摯な物言いで。なまりも良い音曲でした。

「ここに来て下さった皆さんをおもてなしする為に
私たちはお神楽を神さまに毎晩奉納させて頂いております」と仰ってました。
お神楽の踊りてさんはプロではないこと。
お昼の仕事を終えた後に集まり、練習し踊られてる事実にも胸がぐっときました。
やっぱり最後は人ですね。

夜道を歩いた時、足下からまた暖かくなりました。

次の日は朝早く起きて、宮崎県の食べ物「冷や汁」を朝食に
高千穂峡へ歩いて行きました。

観光地化してるとは言え、やはり素晴らしかったです。
谷の横の歩道を長い時間を掛けて散歩しました。
ちょっと残念だったのは、細い山道を歩く人の横を
車ががんがん通行して行った事でしょうか。
渓谷に至る曲がった八の字で、加速してる車に有うと
ちょっと命がけでした。苦笑

2005年の夏。写真はほとんど撮りませんでした。
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by norihana333 | 2009-04-16 10:47 | 九州の思い出
2009年 04月 15日

鵜戸神宮

その日は九州に台風が迫っており、波浪警報が出てました。
海は荒れ、風も強かった。でも晴天でした。

その神社の駐車場に車を入れて、とことこ歩いてたら
お土産屋さんのお姉さんが声をかけてくれました。
「貴方達は若いんだからこっちの参道から行ったら?」

そして目の前には山を上がるための階段がありました。汗
頑張って登り始めて、疲れて足下を見たら。
古い参道の石が人間の足の形で削られて変形してました。
人間の足の形でステップの真ん中がすり減ってる。
すり減った階段は山に向かって伸びてました。

人の思いってこんな形で石さえも削っていくんだ。
もう亡くなられたであろう、私たちの様な名もない人達の足跡を
いっぽいっぽ確認するように石の上に足をのせて上がって行きました。

山の上の空は晴天。眼下には荒れた海が広がり。絶景でした。
汗だくになりましたが。

ああ、山を登って良かった。

小高い山を抜け、小さな参道を下がって行くと神社の入り口へ抜けました。
そこにも大きな駐車場があり、山を越さなくても神社に行ける型になってました。
古い参道から参拝するように勧めてくれたお土産屋さんに感謝。

台風が近づいていたため、参拝者は数組だけでした。

海風が足下から吹き上がるように舞い上がり、
私たちのTシャツは今度は海の潮でしっとり濡れ始めました。

参道は岸壁に作られ、海を下降して行く形でした。
海の中には奇岩がそびえてました。無人の参道に風と潮。

そして突然目の前に洞窟が現れて、その中に社殿が建ってました。

予備知識がなかったため驚きました。

主人は精神世界に興味がなく、信仰も持っておりませんが。
海を見ながら「ここには神さまがいる」と言ったので驚きました。

豪華絢爛な社殿や参道、駐車場も素晴らしかったですが、
やはり大昔からの参道を歩けた事と
あの荒れ狂う海を見れた事に感謝したい。
そして海の中の奇岩と洞窟。

海や山、洞窟などの自然にも私たちは手を合わせました。
あそこは神社が建設されるずっと前から聖地だったと思う。

昔の人は山の参道を上がり海を眺め
山を下りて、海への細い参道をまた下降し
あの洞窟に至ったんだと思います。劇的な情景だったのでは。
自然に畏敬の念を抱かれただろうなと思いました。

海や山に神は宿る。
そして神は自分自身に宿る。

その前日は宮崎市で泊まってました。この神社に行ったら如何ですか?
と勧めてくれたフロントの方にも感謝したい。
行き当たりばったりの旅はなかなか楽しい。笑

6年程を九州で過ごしましたが、その後
ぶらぶら気ままの旅を極めようと良く旅行に出かけました。
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by norihana333 | 2009-04-15 10:59 | 九州の思い出