hana日記

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カテゴリ:英語( 5 )


2013年 07月 23日

山の頂上は当然まったく見えません。

21日の日曜のTOEIC検定。4年振りに受けてきました〜、情けない事にリーディンパートで時間の配分がいまいちうまく行かず最後の2問ががたがたになってしまった。ダブルパッセージの読み応えのある質問なので、時間が必要で。やっぱりアドバイスに従って最後から問題を解き始めれば良かったわ。。。反省。だって読めばきちんと得点出来るパートだから。もったいない事をしてしまいました。
近くの大学がテスト会場になってましたが、沢山の人たちが受験されてました。若い方達も多かったですが、私ぐらいの年齢の方達もけっこう見受けられた。お仕事で必要なのかな。ちなみにやはりもっと文章を読む速度と精度をあげて、基本的な文法を学ばないと得点を上げるのが厳しいのが良く解りました。その上で単語を覚えないといけませんね〜。やることいっぱいでわ。一気に頑張ると息切れするので小さな事から始めます。

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by norihana333 | 2013-07-23 09:14 | 英語
2013年 06月 15日

霧の中を手探りで歩くような不安な気分。いつかは何かを見つけられるのか。

今日はほとほと嫌になりました。英語を読み書き出来ない自分に。とほほ。
長い間勉強にはほど遠かったのですが、いまの学校の先生の人柄と集中力に感心し受講を決意。

ただ私はあのクラスにはかなりの実力不足です。先生の講義は分かりやすかったが私自身の受け取り能力におおいに問題がありました。英文の読み取りの能力には大きな欠点があるのだ。絶対的な実践ビジネス英単語の知識不足。長文の読解力と集中力がない。読めても意味がはっきりわかっていないし何度も読み込まないと分からない。一つの単語を言い換える実力がないのでした。ああ書き始めれば切りがない程の駄目さでした。がっくん。英語長文を読み込んでいると霧の中を手探りで歩く赤ずきんちゃんのような気分になります。不安。

自宅学習頑張ります。なんて思いながら新宿から帰リ道。JR新宿駅のBERGに寄る。ハーフ&ハーフのビール。パンとレバーパテでやけくそのおひとりさま乾杯!ぐびぐびうま〜い。
喫煙席のスペースが大きく、禁煙席もタバコ臭いのがこのお店の難点ですが、ビールも食べ物も安くて美味しい。赤ワインも美味しかったし。私はこのお店のレバーパテしか食べられないので今日はお土産に買ってきました。明日の朝焼いたパンと一緒に食べるつもり。
BERGさん、立ち退きに抵抗してくれて良かったです。ありがとう。
明日はまた新しい一日のスタート。気持ちをすぱっと切り替えて勉強します。

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この写真は違うお店のハーフ&ハーフ。あっ映ってたキリンです。京都で新幹線に乗る前にくいっと飲む。自宅でビールは飲まないのでお出かけ中の楽しみなのです。
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by norihana333 | 2013-06-15 20:44 | 英語
2013年 06月 15日

結果的に読み書きを学びながら聞く事に集中したようです。

子供達はどう英語と向き合ったか。一緒に学校で授業を受けてたわけではないからちょっと推察ですが。下の子はエレメントリーの最終学年に入学。ESLには自分より小さな子も多く教材もやさしめでした。見る限り。そしてESLの生徒数もそれほど多いわけではなかった。ただ先生は「生徒が増えて大変です〜」と言ってたけど。その学校で1年。読み書きをしっかり学んだのですが、まったく学校で必要以上は話しをせずに過ごしていたようで。なので友達は出来ない。入学して数ヶ月経った頃、ろうあの同級生が「この人は耳が聞こえないんだ」と思ったらしく手話で話しかけて来たらしい。

ごめんね。とその善意のろうあの方には謝りましたが、それほど子供は口を利かなかった。
どーして口を利かないの?と質問したら「聞くだけ」に専念していたかったから。だそうです。
これはこの子の性格で自分が許せる程度の完璧さに至ったら口を開くつもりだったようです。素晴らしいのですが、この完璧主義は本人と周囲をいろんな意味で苦しませる事になります。
ESLに入学して6ヶ月程経った頃。その子は突然積極的に話しを始めた。

まるで家に居るようにぺちゃくちゃと英語で。これには驚きました。

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by norihana333 | 2013-06-15 06:19 | 英語
2013年 06月 14日

本棚の中の英語関連本を集めてみた。

50冊まで数えて嫌になってやめた。けっこう貯めてます。でももっとあるんじゃないかな。ガクン。英語を勉強し始めてからかなりの年月が経ったが溜め込んだもんです。まるで私のお腹回りの脂肪のようだわ。消費代謝出来ていない。

どんだけ本を収集したとしても身になったかと言えば駄目だったと思う。飛躍的に伸びたのは最初の6年ほどでした。その後はその頃の頑張りの預金で英語を話している感じです。
英語の参考書もまったく読まなくなった、ただ捨てようにも読み返せばこのフレーズは重要、ここの文章は大切などと優柔不断な心が沸き上がり、手放す事が出来ないのです。中途半端の欲深さです。今週からある「英語学習クラス」に参加予定なのでもう一度自分の周囲を見直してみます。

さて、カナダで移民の為の無料英語学校に通い始めたのですが。20人ほどのクラスメイトに日本人は私と退職後に移住してきた女性のみでした。後は中国本土、ホンコン、台湾、ロシア、ベトナム、イラン、ボスニア、ポーランドの人たちだった。特にボスニアは紛争地からの難民の方達が多かった。平和で脳内お花畑の自分の精神的な脆弱さを実感させられました。台湾のご夫婦も政治的迫害を理由とした難民でした。中国共産党からの政治迫害を一度語ってました。なので中国本土からの同級生と仲悪かった〜喧嘩するわけではないけれど話しもせず、冷たいムードでした。メインランドからの人たちは特に台湾人やベトナム人の視線を気にしてる気配もなかったけれど。そのあたり温度差がかなりありました。

そんなちょっと複雑な空気の中に、せかせかしたホンコン人が「イギリス国籍をもう持ってるし、カナダ移民にもなって後5年でカナダ国籍もとるから中国人だけど君たちが考える中国人じゃないの」なんてスタンスでひんやり中間で立ってました。ベトナム人の女性も中国人が大嫌いだった。仲良くなったら嫌悪の理由をよく話してくれました。かのように、アジア人同士の人間関係、なかなか難しいです。今は領土問題が表面化してきたのでもっと悪化しているでしょうね。

クラスの先生の名前はアン。ドイツ系カナダ人2世。クラスの始め15分から20分は前日習った単語の発音矯正。これが大声を出して先生の発音を真似するだけなんですが、とても効果的でした。けったいな発音をしてると容赦なく直されましたし、最初は恥ずかしかったけどすぐ慣れました。

大声なので自分の発音が聞こえる。そしたらこれでは人は聞き取れないだろうなと解るわけ。
先生に追い立てられるように発音発声して問題点を発見して行く。良い経験でした。せっかく英語を話すんですから、ネイティブにちゃんと聞こえる発音で話したいですよね。わたしも今でも良く主人に発音を直されます。けっこうぐぐっと思い、堪えるんですがすぐまた元の発音に戻ってしまう。

これ癖です。訓練で矯正していくしか道はないです。意識して発音するしか手はないんですが、かといってラジオから流れる様な流暢な英語を今から目指しているわけではなく。生活者の英語を目指しているのです。「通じる自分らしく話せる英語」です。例えばおこがましいですが、ダライラマさんが話される力強い英語です。そして宇宙飛行士の野口さんの英語。

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by norihana333 | 2013-06-14 10:30 | 英語
2013年 06月 12日

英語との格闘のゴングが鳴る。

私が再婚したのは36歳の時。それまでまったく英語には興味もなければ外国に行きたいとも思った事はなかった。ドメスティクなタイプだったわけです。当然中高では英語を勉強していたけれど、今から考えて話せる英語教育ではなかったよね。受験英語。This is a pen.と中学一年で習ったがこれまで一度も現実生活で使った事はない。シャレで外国人英語教員の前で使って笑いを取るくらい。
それに中高で英語を教えてくれる先生が会話できないようだった。これは絶対そうだったと思う。だって心を開いて言語を楽しんでいた感じはゼロでした。言語は楽しんで学ばないとすぐ嫌になります。ほんとにすぐに。

それですぐ自分も英語が嫌いになりまして、「英語難民」になったのでした。ただ日本で暮らす限り、実生活では別に困らず生きて働いてました。そんな状況で32歳まで。ただその頃神戸に住んでいたので外国人は回りに多かった。その人たちと日本語で話していたので別に学習は進まなかったけど、彼らと話しているととても楽だった。別に自分を作る必要もなかったしね。シングルマザーだからといろいろめんどくさい事を言われる事もなかった。その頃まだいろいろ一人親の場合言われる事があったから。いや〜楽だわと思いました。80年代の芦屋市。世間はバブルで弾けていたけれど、我が家はまったくそんな影響は受けず、ただひたすら働く日々でした。

でも仕事があり住む所があり健康で良い仲間に恵まれすごく幸せでした。

で、英語。主人と知り合った時彼はもう既に日本語は堪能でした。音感が良いのか話す日本語はまるでネイティブでした。なので付き合った3年間は全部日本語だったのね。子供達とも彼は日本語を話していたし何の不自由もなく過ごしてしまった。なのでその頃英語で苦しんだ事はなかったです。
ただ彼は英語を封印して懸命に私たちにあわせる努力をしてくれたと思い感謝してます。今はその頃の彼の頑張りがすっごく理解できるけど、その頃の私にはまったく解らなかった。
この時期に楽したわけです。なので阪神大震災の後にカナダに渡ったあと、お〜〜〜きなツケを払う事になったのでした。
まったく英語が話せずにカナダに暮らし始めた私と子供達。やっぱり大変でした。涙
英語との格闘が始まったのです。

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by norihana333 | 2013-06-12 08:01 | 英語