hana日記

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2009年 02月 27日

ひんやりVancouver

Vancouver は−2°でした。
前日の雪がうっすら残りやはり寒かった。

雲海に夕日が沈む瞬間と
雲海に朝日が昇るのを見ました。

空から見るNorth BC の山たちは雪で真っ白でした。
誰もいない山、誰もいない海。いいないいな。

成田空港で44番の搭乗口に到着した時、
季節感のない人たちに囲まれました。

ランニングに短パン。Tシャツにサンダル。
毛皮に革のパンツ。それぞれ自分の心地よい格好を追求した人たち。
なんだ〜今は何の季節なんだ?
と思わせる多人種の中に放り込まれて、とっても心地良かったです。
自分のオーラが数メートル自由に大きくなった気分。What ever !

今日は家族とゆっくり。
明日から町に出かけて行きます。
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by norihana333 | 2009-02-27 14:16 | Canada
2009年 02月 26日

まだ、なんも用意してないけど

本日夕方より、Air Canada でVancouver に里帰りして参ります。
さっきまで二人とも働いてたので、な〜んも準備はできてません。
準備出来てるのはパスポートと航空券の手配のみ。

明日の朝に荷造りします。

家族でゆっくりする予定。
ぼちぼち日記を更新させていただきます。
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by norihana333 | 2009-02-26 00:36 | Canada
2009年 02月 25日

君はとっても良い子だよ

私は21歳の時、コピーライターとして某広告代理店に就職しました。

もうその頃の自分は生意気で。。。。高飛車で。
何とも言えず嫌な女の子だったわけです。どうしようもなく。苦笑

そんな、鼻息の荒い私にはなかなか親しく話しをする人が出来ず。
毎日負のスパイラルに入った様に、生意気の嵐を吹き荒らしておりました。
ほんと皆さんに迷惑だったと思います。

制作部のスタッフの中でデザイナーをされてるYさんがいました。
毎日ぶりぶり同僚と喧嘩してた私に。
「君がほんとはとっても良い子だってボクは知ってるよ」と
普通に言ってくれました。ほんとに気負いなく。

私はこの言葉を聞いた時、突っ張ってた心のつっかえが溶けちゃった。
ほんとに泣けた。

その時まで聞いた事がなかった言葉でした。
そうか聞きたくなかった言葉だったのかもしれない。

彼はデザイナーとして実力を発揮し始めた26歳でした。
私はYさんと彼の婚約者と一緒に良く飲みに行きました。
彼の婚約者も同じ職場でデザイナーとして働く方でした。

Yさんは今風のカタカナ文字の仕事をされてましたが、
僧侶のような趣のある方でひょうひょうとした魅力が有りました。
なんでも話せたな〜 ほんと思いつく事何でも話しました。
いつも笑いながら聞いてくれました。

その後、Yさんは同僚と一緒にデザイン会社を立ち上げて独立。
毎日会う事はなくなりましたが、彼の婚約者から近況をよく聞いてました。
それはそれは忙しくしていたようです。

有る日、Yさんの婚約者は彼からの電話を受けました。
頭が割れる様に痛い。そう告げると大きな音とともに電話が不通になったようです。
彼女が彼のアパートに着いた時は、Yさんは救急車で搬送された後でした。

Yさんは彼女に電話し倒れた後、這う様にアパートの廊下に出て
近所の方に発見されて病院に搬送されました。

クモ膜下出血でした。まだ20歳代。
悲しい悲鳴のような婚約者の方の声を覚えてます。
亡くなって行く方も苦しいですが、後に残されて生きる人間もたいへん苦しい。
そう思わせるような出来事がその後たくさん起こりました。

彼の事は今も良く思い出します。
あの禅僧の様な風貌と話し振り。なつかしいな〜
率直に「君はとっても良い子だよ」そう言ってくれた。
なんだか嬉しかったわ。

良い子に良い人に良い人間に、いつかなりますよ。

私があちらに行くとき、会うのが楽しみな人です。
会ったらね、感謝したい。
ありがとう。ありがとう。

あの後少しずつ素直になって行きました。
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by norihana333 | 2009-02-25 00:51 | 日常
2009年 02月 23日

明礬をまがってあがって

九州の2月。
寒い日に「山の上の学校」にバスに乗って出勤。

明礬の急カーブの辺りから山は一気に雪景色に変わります。
あそこのS字カーブは運転手泣かせの「曲がってる道」でした。
明礬の地域は温泉の地熱で雪が溶けてるけど、
いつもその上の日陰の道はかちかちでした。

バスはそろそろ、ゆっくり、とろとろ山をあがって行きました。
そして自衛隊の演習場を抜けて、くだり道に差し掛かった時。
バスの車体は悲鳴をあげました。緊張の一瞬が車内にはしる。
そして停止。

周りを見回すと、
凍った下り道は降りきれなかった放置車が数台並んでました。

「みなさん!すみませんが降りて歩いて下さい」

ドライバーさん運転を諦めたようです。
そんな事って。。。??
普通は考えられないけど。。。ほんとうに有ったこと。

もう終点だったから学生さんや学校の職員さんしか乗ってなかったと思う。
みなで素直にそろそろと道に降りて歩き始めました。
そうするしか道がない!仕事におくれるばい。
もう可笑しくなって話した事がない方とも笑って話しをしたました。

ああっさむっ!ここは九州のはずやろ!
と良く毒を吐いたもんです。笑 なんどもなんども。

でも、その寒さを覚えてる。

この日記で九州での思い出を書く時、
その地での「肌で覚えてる実感」を素手で取り出して、
触って感触を確かめる感があります。なでなで。

思い出すと、生々しく立ち上がって来る実感があります。
明礬温泉の湯気のように。



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ここは湯布院。良く行きました。
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by norihana333 | 2009-02-23 19:37 | 別府もくもく
2009年 02月 22日

ぐびぐびコーク

ラマザーン「断食(サウム)」が終わった日、
記念の食事会に招待されました。

大学の生協食堂に行った時、もう宴は始まってました。
みんな正装でした。あたたっ!ジーパンで参加しちゃった。

一つのテーブルに男性のみ。
次のテーブルには女性たち。

カップルで座ってるテーブルは有りませんでした。
たくさんのご夫婦が別々のテーブルに座ってました。あらら。
主人とわたしはどうしたら良いのか。。。一瞬躊躇したのですが。

招待してくれたインドネシアからの留学生さんが
違うテーブルに導いてくれました。ありがとう〜 もじもじ。

その、テーブルにはさまざまな事情の人達が集められてました。
某国の外交官の息子さんで海外をてんてんとした子、
某国の王族の子息だけど、原理主義的ではない子。
そこに私たち。そして数人の日本人と大学スタッフ。

どうも、リベラルテーブル(混合チーム)だったようです。
食事会主催者の苦労が身にしみました。たいへんだったね。

生協で働いて「このバーガーには何の肉が入ってるのか?」と
彼らに良く聞かれました。頑張って対応しました。喧嘩したこともあります。
あまりにも頑固で偏狭だったから。でもすぐ仲良くなれました。

食事の問題は、宗教的な彼らには切実な問題です。
違う環境に対応する事の困難さを毎年新入生で観察させて貰いました。
自分もそうだったように。その不器用な咆哮に困りながらも共感しました。

人にとって切実な問題は、信じる事によってまったく違うのだ。
それを拘束とも私は呼んでますが。他者がわいわい言う事もないですよね。
ひとはそれぞれちがうから。

日本にいてこんな環境に6年いれた事を感謝します。
パートナーの仕事の環境は年々悪化して行きましたが。。。

東京に来て、あの濃密で密接な山の上の環境がむやみに恋しくなるときが有ります。
いまがそうなのかな。東京で経済的には安定したけど時々さびしいかな。

その時のパーティーの机上に、何本もコカコーラが並んでたのが
なんだか印象的で不条理な感がいたしました。
反米の会話で、ぐびぐびコカコーラ。

なんだかとっても身体には悪そうだったので、
わたしも何杯も頂きました。当然食べました!!
断食あけの皆さんより食べちゃったかもです。笑 
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by norihana333 | 2009-02-22 01:40 | 別府もくもく
2009年 02月 21日

聞こえない声の後押し

息子と娘の声なき声。

これが私に再婚を決意させました。
学校で「おまえのママは外国人の男と歩いてたぞ」
と何度もはやし立てられても息子はぐっと我慢してたそうです。
ひと言も言い返さず。けんかもせず。

その話しを人から聞いた時、
いままでちょっと型破りで(?)生きて来たのだから、
今度は自分を型に入れてみよう。
籍を入れる事で皆が多少は納得するのなら結婚しよう。そう思いました。

その思いを熱くパートナーに語った後に再婚が決定となりました。
そして子供達も家族も賛成してくれました。ほっとした。
ですので、プロポーズは。。。。なかったのかな。
あたしがプロポーズしたのかな??

その後、満月の日。芦屋のアパートへ帰る道。
彼はまじめな顔をして「そこに立ってて」と言い。
膝をついてプロポーズしてくれました。

その彼の後ろ、道の向こう側を「亥」が子供を連れて横切って行ったのが。。。
なんとも牧歌的で笑える記憶としてのこっております。
あの街の山手には半野性の亥がしょっちゅう出没していたのです。

聞こえない心の声が現実を変えました。
今も子供達二人に感謝しております。
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by norihana333 | 2009-02-21 18:48 | わたしたちのこと
2009年 02月 21日

7階からの眺め

むかし学校の生協で働いておりました。6年ちかく。
その学校の生徒は、当時全学生の60%が海外からの留学生でした。
今は日本人の学生さんが増えてるようです。

留学生が多い環境ゆえ、生協のレジや旅行カウンターでの公用語は
日本語と英語でした。。。。不思議ですよね。
だってロケーションは日本の田舎の山の上でしたから。ふきっさらしの。
中国、韓国、タイ、インド、パプアニューギニアなどなど。
さまざまな趣きの英語が私の心と耳と口を鍛えてくれたと思います。

パートナーはそこで先生をさせて頂いてたので、
まあ「山頂の共働き」だったわけです。笑

リトアニアは旧ロシア連邦の国。

そこからの毎年数人の留学生が来てました。
やっぱり総じて頑張り屋さんが多かった。
シャイで北米の人間とは違う、ちょっと不器用で率直な気質に
わたしは好感をもってました。自分と似た部分を感じたんです。
彼らとあれこれ話しをしたり、楽しい時間を過ごしました。
気が合ったと言いますか。話してても楽だった。

時々リトアニア本国に送る郵便物の切手を買いに来てた「男の子」がいました。
成績優秀だったようで端正なたたずまいが印象にのこってます。
ただ、その子とは打ち解けて話しをした記憶がありません。

その子はある日、7階のアパートから身を投げました。

衝撃的でした。その当時いろいろな事が重なったらしく。。。
でも本当の理由は今でも分らないと思います。
お葬式の後にその子の友人と話しても、孤独だったとしか分りませんでした。

どんな思いで7階から日本の山や海を眺めてたんだろう。
あの緑や青はその子の心を少しは慰めたのかな。残念だったと思います。
若いって事はそれだけで苦しい事かもしれませんね。私もそうだったし。

今はどんな気持ちでいるんだろう。少しは楽になってるのかな。

名前も忘れかけてたけど、お顔は今でもくっきりと思い出せます。
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by norihana333 | 2009-02-21 17:28 | 別府もくもく
2009年 02月 19日

義父の黒いNewfoundland Dog

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Newfoundland は Canada のもっとも東の州。
主人のお父さんは St. John's で Ireland からの移民の家庭に生まれました。

義父がBC州の北部に家を構えた時、
念願だった Newfoundland Dog を飼い始めました。

私はこの犬を初めて見たときは牛だと思ったくらいおおきい。背中に乗れそうです。
気性は優しく、忍耐強く。海洋救難犬としても活躍したそうです。
実際、道で散歩してても吠えてるのを聞いた事がなかったくらい、静かな犬でした。

家族の一員として大切に飼っていたけど、有るはずのなかった転勤が決まり
この大きな犬を飼う事が出来なくなりました。
その時すでに大型犬としては老齢だった。

カナダにはこのような犬を手放さなければ、いけないご家庭の為に
引き取り手や里親を探す機関 Shelter があります。
そこに犬を預けて、興味の有るご家族を待つ事となったそうです。

ただ、待てど暮らせど里親が現れませんでした。
その犬に会いに行くたびに、やせ細り家に帰りたがったそうです。
やはり家とは違う為、食事を取らなくなってしまったようです。
そしてShelterでの犬達への扱いにも義父は不満を持っていたようです。
でも自分ではなんとも出来ず。。。

弱りに弱っていく犬。
社宅に住み引き取れない自分。

ある日、義父は犬が大好きだったステーキを焼き Shelter に持参。
管理者に事情を話し犬を森に連れて行ったそうです。

そして、深い森の中でステーキを食べ終わった犬の後頭部を
小さな猟銃で打ち抜きました。

その森の中に大きな穴を掘り、その犬を埋めたそうです。

義父は亡くなる前、主人に泣きながらこの事を告白したそうです。
ほんとうに号泣だったそうです。自分だけの胸の中に締まっていた記憶。
その機関で薬殺されるぐらいなら自分でと思ったそうです。

この出来事と話しは長く私たちの心の中に残り、
思い出すたびにやるせない、生命の弱さや、動物の純真さ。
人がこの世で生きて行く大変さ。
そして父の人となりを思い起こさせます。

むかし、森の中で義父が自分自身で
自分に向けられた無償の愛に決着を付けた瞬間。

何度も考えたこの出来事は、自分がソコに居たような錯覚さえ覚えます。
やはり日本とは精神的な土壌も違う国。

この話しを残酷と捉える事も可能です。人の感受性はさまざまだけど。
国と文化が異なる土地の昔に起こった出来事。

でも特殊な質感を持って私たちの心のなかに今も生きてます。
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by norihana333 | 2009-02-19 09:44 | Canada
2009年 02月 18日

暖かい日で有りますように

日差しは暖かかったのに、頬を撫でる風は冷たかった。
東京はまた寒くなりました。

特に高尾の空気感は。。。透明でした。
きーんと冷える空気。わたしは大好き。

今日はいろいろ考える事が多く、深い闇に紛れ込んだようでした。

闇は闇として認め、今晩は眠ります。
明日には明るい朝日が上がって来る事でしょう。

最近こころが安定し、暗い谷間に落ちる事は少なくなりました。が
少ないけど、まだ落ち込みます。

諦めた方が良い事は、諦めましょう。
明日が暖かい一日であります様に。

でも、花粉はご勘弁〜
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by norihana333 | 2009-02-18 00:22 | 日常
2009年 02月 17日

安典にいちゃん

6月の吉日に生まれ。
血液不適合の合併症から、高熱を出し苦しんだ私のお兄さん。

頑張って、頑張って。一週間生き抜きました。
「安典」と名づけられその後亡くなりました。

母は精神的に変調をキタすほどの苦しみを経験したと
私に話してくれました。

両親に取って初めての子供。
万全を期して大きな病院で出産したのですが。
その子がこの世に残る事は叶わなかった。

その後、この世に生まれた姉と私は、
お産婆さんで自宅出産の形を取る事となりました。
当時としては珍しい事でした。

その名前しか知らない、
母と父の心にしかいなかった兄を良く思い出します。
どうも私を通してこの世を楽しんでるとしか思えません。笑

写真も残ってない「安典兄ちゃん」
一週間しか生きれなかったにいちゃん。

でも、毎日思い出します。
行きていれば、もう54歳。

話しがしたかったな〜 
私があの世に行くまで会話はお預けですね。
身一つで逢いに行きますね。



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明石海峡を車で渡ったときの写真。
美しい景色でした。四国に生まれた事を感謝しました。

でもこの後、スピード違反で主人は免停となりました。苦笑。
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by norihana333 | 2009-02-17 00:30 | スピリチュアル