hana日記

hanasui3.exblog.jp
ブログトップ

<   2010年 01月 ( 11 )   > この月の画像一覧


2010年 01月 23日

御陵の空気

「多摩御陵」の入り口の並木道に入ったとき。

主人が「あっ!空気が変わった」と言った。
そう、ほんとうだね

空気が透明になってた。

凄いね〜と言いながら駐車場に車を入れて
御陵の中へ歩き始めたんだけど。。。

私はこの土地が大好きです。
なにか他の土地とはまったく違います。

主人は「このお墓は古墳みたいだね」と言いながら
墓前では帽子を取り、手を合わせました。
お墓の回りには数人しかおらず、たいへん静かでした。
空気が吸い込まれるほどの静寂でした。
昭和天皇の御陵の前で、2人でずっと呆然とたたずんでしまいました。

ここは伊勢神宮と空気が良く似ています。

御陵の空気はとても凛としていました。
[PR]

by norihana333 | 2010-01-23 22:26 | 日常
2010年 01月 23日

走る、はしる。

「ああ、忙しかった。。。」

と昼に仕事場から帰ってきた主人に
カウチにやっと座れた私が、ぽそっと呟いたら。。

「えっ? どこが忙しかったの??」

とたいへん不思議そうに彼が尋ねました。

毎日キッチンに洗い物が溜まっておらず、ゴミがきちんと分別されて捨てられ
ベッドのシーツがいつも清潔で布団は太陽に干されてふかふかで。
洋服が引き出しに入っていて、床にゴミが落ちておらず
冷蔵庫に晩ご飯が作られてるのは脅威の自然現象ではないのだ。。。
と教えて差し上げました。

まっ素直に頭を掻きながら謝ってたけど。ふふっ
家事の極意は家人に家の変化を感じさせない事でしょか。笑

ここ最近、アルバイトが忙しく
毎晩眠るのは2時くらいになってます。
出かけるまでに晩ご飯を作ったり、掃除したり
なんだかあっというまに一日が終わります。

どんくさいなりに、疾走するような日々なのでした。
[PR]

by norihana333 | 2010-01-23 00:48 | 日常
2010年 01月 17日

とても不安に思う。。。

この数日、身体の中に鉛が入ってるようだった。

何をしても身体と心が重かった。
そしてふっと震災で亡くなった友人知人は
もっともっと生きたかったんだな。。。そう思うと、
この自分の重量感の意味が分かった。生きたかったんです。
無念の気持ちは15年経っても消えていませんでした。

ハイチの大地震が起こった時、鳩山首相や官邸の対応を
注意して見ていたんだけど。支援の発表も本当に遅かった。

15年前の震災の起こった日の、当時の首相の対応も後で涙がにじむ程遅かった。
私が芦屋市で自衛隊の救援先発隊であるオートバイを見たのは3日目だったと思う。
すぐ近くに自衛隊の基地があったのに。指令系統がなかなか整わなかった。

この民主党政権の下で、どこかの地域が大地震にみまわれたら
いったいどうなるんだろう。。。。
[PR]

by norihana333 | 2010-01-17 23:23 | 日常
2010年 01月 16日

忘れない事

明日は1月17日。

あの神戸の震災から15年たちました。
あっという間だったような、長かったような。
時間が経つと記憶も曖昧になってきたりしますが
私には震災の記憶が色あせる事はあまりありませんでした。

地震の経験も語り尽くせない程ありますが、

それとともに、震災の後に「自分の人生を賭ける」(苦笑)
くらいの勢いで働いていた子供服のメーカーを
退社せざるを得なかった事もあります。
あの仕事には沢山の思い入れがありました。

小さな子供を連れて働く私のために、たくさんの心遣いをしてくれた
社長と重役。このお二人はわたしの恩人です。
この方達の精神的、経済的な支えがなければ、
今のわたしはありませんでした。

そこで働き始めて数年してから、社長は癌を患いました。
病のために一度怒り始めると、一日中その人をターゲットに怒ってました。
その怒りの陰のエネルギーは凄かった。
私は自分の失敗からターゲットになった時期があり、
ストレスで髪が抜け続けました。ぎっくり腰にもなりたいへんな頃でした。

そして忘れられないのが、この震災の日は
私たち家族が再婚して13日目だった事。笑
市役所とカナダ大使館に届け出が終わって、やっとほっとした時期でした。
私はこれでパートナーが出来た。少し人生が楽になるかなと思ったが。
甘かった〜 爆笑

苦しかった事も楽しかった事もいつか必ず終わりました。
苦しいさなかは、このままこの苦痛が永遠に続くのかと絶望したりしましたが
休んだり頑張ったり気持ちを入れ替えたり、悩んだり
しているうちにいつの間にか終わってしまいました。
眠れない夜も明けました。
同じように楽しい幸せも長くは続きませんでした。
地震の後に私の恩人であった社長は脳腫瘍で亡くなられました。
重役は社長を見送り、その後も事業を守り発展させておられます。
わたしは彼女の人生と我慢強さと柔らかさを尊敬してます。
母性の人です。

そして私たちは大決心し、子供を連れてカナダに移住したんだけど。
彼を信じて、自分も信じて。あの頃は必死だった。。。
子供達にはたくさんの負荷をかけてしまいました。

あの地震の時、沢山の知人友人が亡くなりました。

わたしもいつか死にますが、それまでこの出来事を
神戸で起こった出来事を神戸で出会った人達を忘れません。

お墓の中まで持って行く。供養を続けていきます。
[PR]

by norihana333 | 2010-01-16 21:36 | 日常
2010年 01月 12日

胸はぽっと暖かくなったが、今日は寒すぎました。

「寒川神社へお礼を言いに行ってくるね」

そう彼に朝伝えたら

「家族の為にほんとうにありがとう」

と言ってた。しごく普通に素直に。
わたしは「いえいえどういたしまして」と返事しました。

胸がふっと暖かくなり幸せな気持ちに包まれたが、
家を出たら外気は異様に寒かった〜 さむい〜!!
一日中気温が上がらなかったのでわ。
こんな日にスカートで出かけた私は阿呆でした。

古くなったお札を神社に納めて、新しいお札を頂いて来ました。
うちの裏山に鎮座されてる白山神社の後ろにお祭りしました。
かなり家から遠くなったが武蔵国一宮よりは、こちらの神社の方がまだ近いのでした。

参拝を終えて鳥居の外に出て「写真を撮ります。すみません」
と思ってから携帯で写真を撮ったが。。。。カメラが動かなくなった。
どのボタンを押してもにっちもさっちもいかず、諦めました。まいった。
なにか電気の様なものが電気機器に流れているのか。。。

ですので、写真はなし。
寒かったので今日は「シャケと豚肉の粕汁」を作ります。
[PR]

by norihana333 | 2010-01-12 17:13 | 日常
2010年 01月 10日

おばさんは自立を目指す。。。のだ

スピリチュアルな事に興味を持ったのは
思い起こせば2000年にカナダから日本に帰国した頃からでした。
その頃はたくさんの問題を抱えて、精神的に迷っていました。

帰国後、本屋さんで江原啓之さんの本を見つけ、
熱心に霊的真理を学ぼうとしました。
サポーターとしてもいろいろな得難い経験をさせて頂きました。
地方公演にも行けるときは行き、活力に満ちた時間を過ごさせて頂きました。
仕事では某スピ系出版社で働かせて頂き、有名ヒーラーや作家
霊能者の方達とも働かせて頂きました。

そんな数年の経験を経て自分の中で、拙いであろうけれども
結論を見る事が出来ました。

「自分を信じる」

これに尽きます。簡単な言葉なのですが、私はこれがなかなか出来ませんでした。
こう思える様になってから、私達家族をとりまく状況はだんだん変化して行き
気持ちは安定して来ました。そして状況も安定して来ました。

江原啓之さんのサポーター歴も2000年くらいからでした。
草月会館での最後の東京講座で江原さんは
「もうこれからは自分自身で自立するんですよ」と何度も仰ってました。

サポーターとして江原さんの講演に参加する度に
沢山の得難い体験と素晴らしい友人と知り合う事が出来ました。
とても感謝しております。ただ自分の中での霊能への変なあこがれや
誰かが自分を指導してくれると思う依存が長い間こころの根底にあったと思います。
その弱い自分とさようならしよう。自分の中の良心とともに生きていこう。

今後、江原啓之さんの講座や公演に行く事は、もうないと思います。

いろいろ迷う事の多かった数年でしたが、
おばさんは自立を目指して頑張ります。
[PR]

by norihana333 | 2010-01-10 23:53 | 日常
2010年 01月 09日

ミシュオ君だったので。。。あろうか??

そのお客さんは日本人の個人名で予約されてました。

ここは赤坂、某高級料理店。
私は冬の忙しい時期だけ働かせて頂いてます。
個室にお通ししたお客様は、大変おしゃれな日本人男性と外国人の方でした。

座ったとたんに、いろいろ料理やお店について質問してこられました。
メインの仲居さんが答えてくれて私はほっといたしました〜 汗
飲み物はお茶。という事はしらふですね。

お料理が運ばれると日本人の男性がフランス語で料理を相方さんに説明されてました。
むむっフランス語。。。お手上げでございます。まったく分かりません。
ただフランス語の時々聞き取れる単語は全て「食」に関する事でした。

お料理が運ばれて来るのを待ち構えた様に、気合いを込めて召し上がります。
うう〜〜〜ん 普通のお客さんでは明らかに。。。。ない。
まさか。。。あの ミシュオ君達???

あの高尾山をランクインさせて、外国人のお客様が
お山に押し寄せた。。。。あのミシュオ?? そういえば二人組みだし。

まさかとは思うけど。。。。食関係の覆面取材ではあったと思うのです。
それくらい一種独特のぴりぴりしたムードを漂わせてました。
お食事も仕事って感じでした。笑
[PR]

by norihana333 | 2010-01-09 23:46 | 日常
2010年 01月 05日

お花は素敵

c0189085_1385894.jpg


香川の中学校時代からの友達が
こんなお花を贈ってくれた。ありがとうございました。

むりやり玄関に積み上げていたいろいろをかたして
お花を飾ったら家に「お正月」が来ました。

お花は奇麗だな〜 心がほんわかいたします。
玄関にお花を飾るの素敵な事ですね。今後も続けていきます。
[PR]

by norihana333 | 2010-01-05 13:12 | 日常
2010年 01月 04日

陣馬山のシャングリラ。。。かも

ドライブしてるうちに、
陣馬山に迷い込んでしまった。

京王電車の広告に陣馬高原と書かれてたけど
高原。。。。。とは思えなかった。
あるポイントから、険しい細い山道でした。

路線バスや宿泊地があるあたりまでの、2車線の道を抜けたら
「大型車は引き返しできません」との看板が出てました。
でも後ろから後続車が来てたし我らの車「カローラ」は
明らかに大型車じゃないから大丈夫だろう。。。
そう二人で話しながらその山道(一車線)に入っていったのです。

これが〜〜〜凄い道でした。
かなり細い一車線。
道の下は谷川、そして山が迫ってきてます。

時々向かって来る対向車を見ては
「あ””〜〜っ」と小さく叫んでました。

なんとか対向車を避けながら、引き返す道を探しながら
まっすぐ進んで行く私たち。。。。全身に力が入ってしまいました。

谷間に家々が建ち、河向こうにも家々が。。。
九州の山間部に紛れ込んだかと思う程の景色でしたが、
ここはまだ東京都。信じられんばい。

その道の途中で、どなたかのお宅の前で車一台かわせる位のスペースを見つけ
「えっさほいさ」と車の向きを変えさせてもらって、また出発。

なんとか無事に家に帰らねば。

道もだいたい分かったし
少し余裕が出てきたので景色をやっと見始めました。

あるポイントで川の向こうの急な斜面に建つ、古い神社を発見しました。
深い深い山の中、誰もいない神社。
真新しいしめ縄が目に飛び込んできました。

どうしても行ってみたかったけど、どこを見回しても
車を停める駐車場もなかった。駐車出来そうな場所には
誰かが軽トラックを停めてました。

道に車を停めたら一車線なので誰も通行出来なくなってしまう。

それで、参拝は今回は諦めました。。。。
すごく神秘的な神社でした。忘れ去られたような
今度は小さい車で、参拝を目的に陣馬山に出かけていきます。

その日家に帰ってから、二人とも全身が痛かった。
車の中で緊張してたから筋肉痛になったようです。苦笑
[PR]

by norihana333 | 2010-01-04 23:54 | 日常
2010年 01月 03日

戦場の読経

私の伯父さんはお寺の住職。

戦争の時、招集されて満州に送られました。
17歳と少し若かった私のお父さんは「赤紙」を免れました。

もう戦争は末期状態の頃です。戦場に送られた伯父さんは
これから戦うんだと不安の極みの気分だったそうです

そんな伯父さんの満州で与えられた仕事は、死者の埋葬でした。

従軍一日目から毎日毎日死んで行く若い男性へ
読経して穴を掘って埋めるのが伯父さんの仕事だったそうです。
短い従軍期間だったので、銃を持って戦う事はなかったそうですが
毎日終日読経に明け暮れたそうです。

そして、敗戦とともに満州からの引き上げ。。。。

あまり伯父さんは戦争について私たちに語る事はあまりなかったけど
あの戦場での毎日読経に明け暮れた日々を、繰り返し語っていました。

私の父は伯父さんからたくさん戦争の話しを聞いたそうです。毎日。

そして、私の父も伯父さんも
昭和天皇の戦争責任を問います。

私にとっては昭和天皇は朴訥とした神性を帯びた 国民の平安を祈る方
と敬愛してるのですが。父親達の考えは少し違います。

経験から来る痛みを伴った信念を、私は軽視できません。

19歳の若さで、死にたくないと絶叫しながら
亡くなって行く男性達を送るお葬式に明け暮れた伯父さん。

戦争の記憶はなまなましく残っています。
[PR]

by norihana333 | 2010-01-03 00:40 | 日常