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hana日記

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2013年 06月 12日

英語との格闘のゴングが鳴る。

私が再婚したのは36歳の時。それまでまったく英語には興味もなければ外国に行きたいとも思った事はなかった。ドメスティクなタイプだったわけです。当然中高では英語を勉強していたけれど、今から考えて話せる英語教育ではなかったよね。受験英語。This is a pen.と中学一年で習ったがこれまで一度も現実生活で使った事はない。シャレで外国人英語教員の前で使って笑いを取るくらい。
それに中高で英語を教えてくれる先生が会話できないようだった。これは絶対そうだったと思う。だって心を開いて言語を楽しんでいた感じはゼロでした。言語は楽しんで学ばないとすぐ嫌になります。ほんとにすぐに。

それですぐ自分も英語が嫌いになりまして、「英語難民」になったのでした。ただ日本で暮らす限り、実生活では別に困らず生きて働いてました。そんな状況で32歳まで。ただその頃神戸に住んでいたので外国人は回りに多かった。その人たちと日本語で話していたので別に学習は進まなかったけど、彼らと話しているととても楽だった。別に自分を作る必要もなかったしね。シングルマザーだからといろいろめんどくさい事を言われる事もなかった。その頃まだいろいろ一人親の場合言われる事があったから。いや〜楽だわと思いました。80年代の芦屋市。世間はバブルで弾けていたけれど、我が家はまったくそんな影響は受けず、ただひたすら働く日々でした。

でも仕事があり住む所があり健康で良い仲間に恵まれすごく幸せでした。

で、英語。主人と知り合った時彼はもう既に日本語は堪能でした。音感が良いのか話す日本語はまるでネイティブでした。なので付き合った3年間は全部日本語だったのね。子供達とも彼は日本語を話していたし何の不自由もなく過ごしてしまった。なのでその頃英語で苦しんだ事はなかったです。
ただ彼は英語を封印して懸命に私たちにあわせる努力をしてくれたと思い感謝してます。今はその頃の彼の頑張りがすっごく理解できるけど、その頃の私にはまったく解らなかった。
この時期に楽したわけです。なので阪神大震災の後にカナダに渡ったあと、お〜〜〜きなツケを払う事になったのでした。
まったく英語が話せずにカナダに暮らし始めた私と子供達。やっぱり大変でした。涙
英語との格闘が始まったのです。

英語との格闘のゴングが鳴る。_c0189085_753451.jpg


by norihana333 | 2013-06-12 08:01 | 英語


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